こんにちは。3か月も更新が空いてしまいました。
その間なんですけど、タイトルにも書いたように急病で倒れて入院していました。診断はなんと脳梗塞です。今は何とか回復して自宅に戻っているので、入院していた間のこととか、そんな状況でもフリーゲームが頭の中から離れなかったとかそんな話をしていきたいと思います。以下の内容は若干のフェイクは含みますがおおよそ私の身に起こったことそのままです。みなさんぜひお体には気を付けてください。

現在は無事退院しまして、完全に回復したとは言わないものの問題なく日常生活を送れている状態になります。退院がちょうど桜の時期だったので見に行ったりもしました。
sakura

発症

1月上旬のある日に突然異変が起こりました。最初に気付いたのは若干の頭痛です。ちょっと痛いけどすごくつらいほどではなくて、このくらいならたびたびあるという程度だったのでそのまま少し休んでいました。しかし喉が渇いたと思って水を取りに行こうとすると、まっすぐ歩けなくなっていることに気付きます。歩いていてちょっとふらつくことなら誰でも経験したことがあると思いますがそのような感じではなく、普通に歩こうとすると必ず右側にふらついて転んでしまうという状態になっており、ここで身の危険を感じました。さすがに病院は行かなければまずいとは思っていたのですが救急車を呼ぶレベルなのか分からず、初めて救急相談ダイヤルへと電話します。結果救急搬送となります。この時点では、耳や三半規管がおかしくなったのかと思っていました。

病院についてからも少しずつ悪化し、嘔吐、発熱といった症状が出ます。意識に異常はなかったのでぎりぎり入院の書類にサインしてベッドで寝て過ごします。この時点で歩くことはおろか立つのも壁によりかからなければ不可能になっていました。
さらに物が飲み込めなくなっていることに気付きこれはかなり怖かったです。風邪やインフルエンザのような、のどが痛くて食べ物が食べられない、といったものとは異なり、まるで飲み込み方を忘れてしまったかのようにのどが動かない状態でした。この時は気持ち悪くて口の中にたまった唾液すら飲み込むことができず、吐瀉物と一緒に全て吐き出していました。

最初の3日ほどはほぼ寝たまま過ごし、食事はできないので栄養は点滴、排泄も自力では困難なので都度ナースコールで看護師さんを呼び、なんとか車いすでトイレまで運んでもらって用を足していました。

この時期を過ぎると支えありで座ったり、ゼリー状の食事をとることができるようになりましたが自力での移動は困難なため車いすでトイレまで運んでもらうのは相変わらず。吐き気は収まり日中は目を開けて過ごすことができるようになりましたが、この辺りで視覚にも異常が現れていることに気付きます。もともと近視ではあったのですが、普段とは違う感じで遠くが見えない。目を細めて見ようとしても気持ち悪くなってしまう。さらには物が2重に見える状態でした。片目で見ると正常に近かったので、視力の低下とかではなく両眼視ができなくなっているんだろうなと思っていました。めまいのような症状もあり振り返ったり首をひねったりすると乗り物酔いのような状態になってしまいます。ここまでくると、もう脳に異常があるのだろうと思っていましたが、この時点ではまだ原因は分かっていませんでした。

身体に現れる症状が多岐にわたっており自力ではほぼ何もできない状態でしたが幸い意識や認知機能への影響はなく、変に冷静でした。これ全然死ぬ可能性あるよなあとか、回復したとして目がまずきついなあ眼帯すれば何とか生活できるかなあとか、本当に死ぬとなったら家族に何と言おうかとか、このブログの存在を教えておこうかとか考えてました。「あなたの命の価値」のレビューとか、実質私の家族や両親に感謝を述べていたりしますからね。
幸いその必要はなくなり、恥ずかしいのでまだ家族や友人らに明かしたりはしていないです。

診断確定

1週間ほど経って受けた造影MRI検査で原因が明らかとなり、延髄梗塞と診断されました。延髄は大脳・小脳や間脳とともに脳を構成する部位で、要は脳梗塞の一種です。
内心そんな気はしていたのですがショックではありました。私は20代なのですが、この歳で患う病気ではないと思っていたのが正直なところです。

悪化する可能性もあるので定期的にMRIを撮って備える、再発を防ぐ投薬を行う、後遺症が残る可能性が高い、といった話を聞きます。特に後遺症が残る可能性が高いというのはショックな告知なわけですが、この時にはすでに薄々そう感じていたのかすごく気持ちが沈むようなことはありませんでした。
仮に今の状態で症状が固定化したら障害者手帳は貰えるのだろうかとか、何級になるんだろうかとか考えてました。

この頃にはやわらかい食事を自力で摂ることが可能になっていたり、歩行は相変わらず困難なものの車いすでの移動は自力で出来るようになっていたりといった点でも、確実に発症直後より良くなっているという実感が生まれていたのも大きかったかもしれません。視覚の異常も、手元でスマートフォンを見る程度なら少しずつできるようになってきました。長時間見るのはまだ無理で、動体視力も相当低下していたと思います。めまいの症状も継続しており、集中を続けると気持ち悪くなりやすかったです。

その後の入院生活とリハビリ

その後もしばらくは安静にした状態で入院していましたが、歩けない・目がおかしい・飲み込みがしづらい以外の症状はほぼ解消しました。入院生活も慣れてきた2週間後くらいからリハビリを行いました。専門職の理学療法士・作業療法士の方に見てもらいながら体を動かしたりします。フリゲレビュワーの大先輩であるNaGISAさんは理学療法士であることを表にしていらっしゃいますが、正直何をしているのかイメージがついていませんでした。今回とてもお世話になって感謝の気持ちでいっぱいです。

病変の場所が脳なので、一応という事で高次脳機能検査も受けました。注意機能検査というやつとか記憶力検査、知能検査というやつです。幸いこれはどこも影響なしとのことで安心しました。病院でちゃんとした知能検査を受ける人(保険適用で)ってあまり多くないと思っていて、知的障害でも発達障害でも認知症でもなくてこういう検査を受けることあるんだなと思いました。いわゆるIQテストみたいなものと同じような検査もあったのが少し意外な感じがしました(インチキIQテストみたいなアプリとかサイト、広告って結構あると思うのですが、あれが流行るのは社会に悪影響ありそうと思っている派です)。

さて、リハビリをする時期になって初めて発覚した症状があって、それは触覚の異常でした。左半身で痛みや熱さ、冷たさを感じなくなっていたのです。左手に物が触れていること自体やその場所、硬さなどについては正常な感覚が残っていたため自力で気付けず、作業療法士の方に指摘されて初めて気づきました。確かに右手で触ったらひんやりするものに左手で触っても何も感じません。この時の衝撃はこれまでの人生で受けた驚きの中でも指折りかもしれません。
思えば、数日前に点滴の針を左腕に刺し替えてもらったことがあり、その際血管が出にくくて腕を温めてもらったのですが、温かいと言って渡されたおしぼり冷めちゃってて全然温かくないな~と感じたことがありました。あれは本当に温かいものを渡されていたのにそれが分からなかったのだなと気付きました。
病院内で生活する分には危険はほぼ排除されているわけですが、それでも食事の際に左手で持ったお茶碗などの温かさが分からず、おかずは食べてみるまで温かいものか冷たいものかが分からなかったり、シャワーの温度が分からなかったりという状態で、結構影響範囲あるなと感じます。

リハビリではバランス練習だったり歩行訓練だったり、体幹トレーニングをしたりしていました。担当の理学療法士の方に筋肉の状態を触って確かめてもらったりもするのですが、左右で明らかに違いがあってびっくりしました。右利きなのに右側の筋力が段違いに落ちていたり、柔軟性も右の方に顕著に問題があったり。ストレッチのような感じで脚の筋肉を押してもらっていた時、右側だけすごく痛くて左右で同じ力を入れていると言われても信じられないくらいでした。だんだん歩けるようになってきても右足に先に疲れを感じたり、右だけ遠足の翌日みたいな感じになっていたりと不思議なものです。他にも眼球運動の練習や手指の細かい動作、手足で複数の動作を並行して行ったり、階段の昇降や家事動作、PC操作の練習なども行っています。
これらはリハビリを重ねるうちに次第に解消し、今ではほぼ問題ない状態になっています。

その他入院生活について

イメージ通りではありますが入院患者ってほとんど高齢者ですね。それもほぼ全員後期高齢者と見受けられるかたばかりで、私の年齢は明らかに異色でした。私の場合両親が見舞いに来てくれたりしたのですが、他の患者さんは息子や娘が来るといった場合がほとんど(しかも息子が私の父より年上に見えたりする)。さすがに物理的な若さが全く違うので、リハビリでの回復速度は一般的な患者さんよりかなり速かったらしく、理学療法士の方には「リハビリをやればやるほど良くなっていくから診ていて楽しい」というようなことを言われました。回復が速いという事自体は嬉しいのですが、そもそもこんな年で脳梗塞とかなるかよという気持ちもあるので微妙なところです。
病棟の看護師さんにもやたら可愛がってもらった気がします。規模が小さい病院だったので、(久しぶりに自分より若い/同年代の患者さん来た~)みたいな雰囲気を若干感じました。

認知症のためかほとんど何も分からなくなってしまっていると思しき患者さんも多く、無実の罪で公安警察に追われているから助けてくれという妄想を語り続けるおじいちゃんとか、脱抑制という症状なのか完全に幼児と同じダダのこね方をするおばあちゃんもいました。奇声を発してうるさい患者さんも多く、仕方ないとは思いつつ、不自由な点以上に入院生活のストレス源となったのは他の患者さんかもしれません。


お見舞いについて。私の家族は他県に住んでおり片道2時間以上はかかると思うのですが、入院の翌日(しかも平日)には父が来てくれました。もう何年も前に親元を離れ就職もしているのですが、いくつになっても大切な子供なのだなあと感じました。子供のころからのこうした経験は間違いなく自分の自己肯定感の源泉になっていますし、だからこそ「あなたの命の価値」のレビューのようなことを書いたのです。母や兄弟もたびたび来てくれてありがたい限りです。

入院中はかなり自由に制限があるわけですが、私の場合間食に制限などはなかったので見舞いに来てくれた家族がお菓子やお茶をたくさん差し入れしてくれ、それを食べたりするのを楽しみにしていました。もっと回復してからはパズル雑誌を差し入れてもらったのでそれを解いたりもしていました。

それでも入院生活は暇ではあるので、毎日日記をつけていました。今もそれを参照しながら記事を書いています。これまで日記をつける習慣はなかったのですが、1日にキャンパスノート1ページ分もの量を書いていました。私はゴリゴリの理系タイプなのですが、文章を書くのは好きなのかもしれません。

暇な入院生活の少ない楽しみの一つが食事ですが、一緒に食べる相手もいないと一瞬で終わってしまいます。よく病院食はまずいと言われたりしますが、私はそこまでには感じませんでした。ただ、その食生活を数か月単位で続けていると物足りなさを感じるのも事実でした。量という意味でも味付けの面でもそうです。栄養面は厳密に管理されているはずですが、その分主菜枠が豆腐だと物足りないというか、肉や魚が食べたいなあと思いました。
このように、私自身は食事にそこまで文句はなかったのですが、同室の患者さん2人が仲良くなったのか「病院の食事がまずくてかなわない」「退院したら味噌ラーメンを食べに行くんだ」みたいな話をずっとしていて(多分認知症のため同じ話をしたことを覚えていない)、そういう話をされると本当に食事がまずくなるからやめてくれ、と内心思っていましたが言えませんでした。
病院の食事で辛い物が出るイメージが全然なかったのですが、意外と辛い物も出てきました。それも単に唐辛子だけでなく、コショウやワサビ、マスタードなど様々な香辛料が使われている印象があり、塩分量が厳しく制限された中で美味しく食べられる料理を作ろうという工夫なのかなと思いました。


様々な症状が出ていたのですが、症状の現れるタイミングや回復の速度が違っていて不思議でした。
経験した各症状の強さをグラフにしてみたのですがこんな感じでした。縦軸は症状の程度を0~10で表して、0は普段通り、10はこれ以上ないくらいにしんどい状態というイメージです。異なる症状を比べられるものでもないのであくまでイメージという事と、横軸は目盛りが等間隔でないことに気を付けてください。
graph

最初に現れたのが頭痛と運動障害、次に嚥下障害で、他は発症翌日以降に現れたように記憶しています。どの症状も発症翌日がピークで次第に回復していくのですが、なぜか熱は安定せず、1週間後には40度に達して解熱剤を打ってもらわなくては寝られないほどでした。回復速度もばらばらで、嘔吐は3日もする頃にはほぼなくなっています。次いで嚥下障害と運動障害の回復が速く、感覚の異常は今も少し残っているという感じです。これらの症状が0に戻るときがあるのか、祈るのみです。

入院生活とフリーゲーム

入院から2週間も経つ頃には症状もかなり落ち着いて、手元のスマートフォンを見て短時間操作することはできるくらいになっていたので、ノベコレで短編のフェス参加作を探してプレイするようになりました。認知機能と指先の細かい運動機能がほぼ無事だったのが大きいですね。ずっと見ているのはしんどかったので最初のうちは短編のみで、レビューコメントは頭の中で考えて少しずつメモ帳アプリに書いて、最後に作品ページにコピペしていました。今までゲームはWindowsPCにダウンロードしてプレイすることがほとんどだったのですが、入院中はスマホしか触ることができず、ノベコレのマルチプラットフォーム対応が今回は本当にありがたかったです。
また、ありがたいことに自作「咲希ちゃんと○×ゲーム」にたびたびコメントやダイア玉ブーストを頂いていたので、コメント返信なんかもしています。
ティラノゲームフェス10については、閉幕が迫っていますがもう少しだけコメントを書くつもりです。閉幕後にはプレイした作品のまとめとかも書きたいですね。


ツイートもしましたが、こんな状況下にあってもフリーゲームのことが頭の中から離れないんですよね。医療用リストバンドという個人識別用の道具を腕につけますが、数か月単位でつけっぱなしでも耐えられそうな丈夫さかつ軽い素材、そして白い色から「ナルキッソス」を連想してしまいました。1作目の主人公やセツミ、姫子さんがつけていたものと同じ色ですね。本当に入院しているときにホスピスの物語(しかも患者は助からない状況にある)を思い浮かべるなんて縁起でもない、という気もしますが院内でその話をしたわけではないので許してください。これ本当に丈夫で、おそらく20回くらいはつけたまま入浴したと思うのですがふやけたり文字がかすれたりすることもなく、着けていて異物感や重さを感じることもほぼありませんでした。
「ナルキッソス」は最初にプレイしたときはそれほど刺さったという感じでもなかったのですが、今になって見返してみるとやはりすごい作品だなと思います。そのうち本ブログでも扱いたいです。
作中に、入浴は週2回といった表現が出てきますが、これはマジでした。検温の時間が決まっている風の描写もありますが、私が入院していたところではその日の状況によってさまざまだったので違うところもあったり。外出も相当なことがないとできないはずです(衆議院選挙に行きたかったがダメと言われてしまった)。

リハビリをするようになると、リハビリ計画書という書類を作ってもらってそこにサインしたりします。その書類の中には現在の状況やリハビリの目標が書かれているわけです。自力で食事や排泄ができるか、歩行や階段はどうか、知的能力はどうかとかですね。その中に心理状態に関する項目があり、障害受容度合いが否認期、ショック期、恨み怒り期などと分類されているのを見た私は、「Normalize Human Communication」で登場したキューブラー=ロスの死の受容のプロセスを連想してしまいました。これまた本当に縁起でもないし、後遺障害の受容に関する心理プロセスがそれを踏襲しているわけでもないだろうとは思うのですが、受け入れがたい事実に直面したときにまずショックを受け否認する時期があって、怒りや抑うつ、そして受容といった段階があると考えられているのは似ているなとも思います。
私は自分自身を割と楽観的なタイプで、多くの物事に対してかなり許容範囲の広い性格だと思っているのですが、今回病気を発症して、思っていたよりさらに許せる範囲が広いのだろうかと感じました。診断確定の時点では既に受容の段階に向かっており、早くリハビリを開始したいという思いがあったのです。どれだけ回復するかは分からないけどある程度は時間が解決してくれるだろうし、入院中他にやることもないからどんどんリハビリして少しでも良くなるようにしようというような思考です。

退院後

現在は既に退院し、ほぼ以前と変わらない日常生活を送れるようになっています。まだ病院外での生活に慣れるフェーズのため休職中ではありますが、近いうちに復帰できればと思っています。
運動機能についてはリハビリの甲斐もあり9割以上はもとの能力を取り戻したと思うのですが、感覚機能についてはそこまでは良くなっていません。もちろん発症当初よりマシにはなっているのですが…

退院前にまたMRI撮影を行って画像について説明してもらったのですが、発症時に撮った画像では途切れている血管が今では繋がって写っているのが素人目にも分かり、本当に生命の力強さに感動するような気持ちでした。

体についてはそんな感じで、残りは時間をかけて少しずつ良くなる、あるいは慣れていくと信じています。積極的にできる治療やリハビリもほぼなさそうなので、今はとりあえず閉幕間際のティラノゲームフェス10をやっていこうと思います。PCを触れるようになったのでこうしてブログを書いたり、ブラウザ非対応のゲームをプレイできるようになったのが嬉しい。
閉幕後にまた振り返り記事を書くと思いますので次回お会いしましょう。

なにか思い出したら追記するかもしれません。
それでは。